日本六古窯のひとつである信楽焼は、1250年の伝統を誇る日本最古の産地です。
紫香楽宮の屋根瓦として焼かれたのが始まりといわれる信楽焼ですが、都は大火で消失し、室町後期の茶陶が興るまでは、種壺やする鉢などの日用雑器を作る窯として、農民の手で細々と受け継がれていました。
釉薬を使わない土味をいかした、ぬくもりを感じさせる素朴な風合いの中に、多くの有名茶人が簡素美を見出し、茶陶信楽焼として脚光を浴びました。
しかし、信楽が現在のような大きな窯場になったのは明治に入ってからであり、また、火鉢や灯篭などの庭置き作りが盛んになったのは大正に入ってから。さらに、火鉢や植木鉢に「なまこ釉」などの窯変釉薬を施したり、模様を書いたりし始めたのは、実は昭和に入ってから。このように信楽焼は、時代とともに返還し、常に時代とともに進んできました。即ちそれは、他の伝統的な窯業な町とは異なったあり方をしていると言えます。